先日に続いてMTGの話題ではありません。

ネットでたまたま日本銀行前橋支店のことを調べました。

支店が前橋にあることは以前から知っており、
全国の県庁所在地にあるのだろうと漠然と思っていましたが、
それが違うんですよ。

全国には支店が32あり、関東にはなんと前橋と横浜にしかないのです。


日本銀行前橋支店のサイトには前橋支店解説の経緯が載っていました。
http://www3.boj.or.jp/maebashi/index.html

それによると、1944年に開設されたそうです。

元々関東は本店がカバーしていたのですが、
・本店がやられると近い支店は新潟・福島・松本しかない
・利根川の橋を爆撃されたら北関東は金融的に孤立する
ことから、当時北関東における金融の拠点として栄えていた前橋に、
日本銀行の支店が開設されたそうです。

今、北関東の拠点といわれると違和感を持たれるかもしれませんが、
当時は製糸業や中島飛行機もあり群馬県は栄えていました。

たとえば、横浜銀行は神奈川県唯一の地方銀行であり、
当然支店はほぼ神奈川県にあります。

しかし、貿易港である横浜にとって生糸の生産拠点である群馬は重要であり、
横浜にあった第二国立銀行が高崎(1875年)と前橋(1876年)に支店を設け、
のちに合併して横浜銀行になってからも支店が続いているのです。

ちなみに桐生支店は1947年に横浜銀行出張所として設立されましたが、
1893年に第二国立銀行出張所として設立され一時廃止された歴史があります。
(以上横浜銀行サイトよりhttp://www.boy.co.jp/index.html)

それだけ、当時の群馬県は栄えていたということですね(おそらく)。


その横浜にも日本銀行支店がありますが、
貿易港もあるしさぞかし歴史が古いのだろうと思いきや、
1945年、横浜駐在員事務所開設
1946年、横浜事務所に改称
1974年、支店に昇格
と、前橋支店からずいぶん遅れての支店化です。

重要性云々というよりも、
東京の本店から近くて支店を設置する必要がなかっただけということでしょうか。


で、日本銀行前橋支店が開設された翌年の1945年8月5日、
前橋に大空襲がありました。

そして、8月6日に広島、8月9日に長崎に原爆が投下され、
8月15日に玉音放送がされました。


毎年めぐってくる8月は現代の日本人が平和について考える機会を与えてくれます。

戦争関係(特に末期)から戦後の資料を読むたびに思います、
戦争に負けるとはこういうことなのだと。

そして、今でも米軍基地問題、北方領土問題、歴史認識の問題などを見聞きするたびに、
敗戦で負った債務の大きさと戦後60年で膨れ上がった利息の存在を感じます。


ちなみに本日8月7日は、
中島飛行機で日本初の純国産ジェット機である橘花が初飛行した日でもあります(1945年)。

ついでにのび太君の誕生日も。

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